東京新聞コラム (2000.4〜2001.3掲載)

 使い勝手のいい丁寧語(平成13年3月20日付)最終回
 「まもなく小田原になります」。新幹線でこんな車内アナウンスを聞いて「あれっ?」と思った。このアナウンスに違和感を覚えた私は少数派かもしれない。『それを言うなら、まもなく小田原に到着いたしますだろうが』(ブツブツ)
 レストランのウエーターが「こちらコンソメスープになります」とか、コンビニ店員が「お会計980円になります」と言い始めたころ、おじさん世代は少なからず抵抗したものだ。
 「コンソメスープです。スープでございますと言うべきでしょう?」「なりますは、卵が鶏になります、という具合に状態の変化をあらわす場合に使うんじゃないの?」などと声高に異議を唱えたりもした。
 しかし、今ではそこら中で「牛丼の並になります」「こちらネギラーメンになります」とやっていて文句を言ってたらきりがない。黙って聞いているうちにすっかり慣れっこになってしまった。
 先日、接客態度で評判のAタクシーに乗り、「並木橋に着いたら起こしてね」とお願いしてウトウトしていた。車が止まった気配で目を覚ましたら「お客さま、並木橋になります」
 運転手さんによれば、この言い方は社員研修で教えられたという。「お客さまとの受け答えに使う言葉は、ブッキラボーにならないようなるべく長いフレーズを使うように。『並木橋!』と言いっぱなしは論外で、『並木橋です』でもちょっと冷たい感じだ。『並木橋でございます』はへりくだり過ぎて、かえって嫌みな印象を与えてしまう恐れがある。その点『並木橋になります』は程良く丁寧、上品でベストである」というようなことを教官は言ったらしい。
 「じゃあ板橋の成増に到着した客には何と声をかけるんですか?」と尋ねた私に運転手さん「成増になりますって変ですかね」と言ってニコっと笑った。
 こんなふうにして、使い勝手のいい新しい丁寧語としての「〜になります」は当分、増殖し続けそうだ。

東京新聞/言いたい放談 (3月20日)最終回【誤字脱字はご了承下さい・記事入力者より】


 独自番組で生き残れ!(平成13年3月6日付)
 今、地方のテレビ局が激しいサバイバル合戦を演じている。
 普及が進んできたCS放送や、本格的に始まったBSデジタル放送は地方局を経由せず空から直接各戸に番組を送り込む。数年後に全国で始まる地上波のデジタル化は一局当たり数十億から数百億単位の新たな投資を強いる。こんな厳しい環境では、キー局の制作した番組を流すだけのような局は淘汰(とうた)される。危機意識を持った地方局は今、自社制作のオリジナル番組で地元の支持を広げようと血眼になっている。
 去年の初め、いくつかの局から声をかけていただいたのもそんな背景があってのことだ。
 そんな中で一番熱く「独自のコンテンツづくり」の必要性を訴え、文化放送の毎朝3時間半の生放送、大学院通学という条件にもかなった静岡朝日テレビと組ませていただくことにした。主婦層をターゲットにした、ウイークデー夕方2時間の情報バラエティー番組「とびっきり!しずおか」である。
 驚いたのはスタッフが若いこと。大半が20代の独身だ。この局はかつて県内視聴率ナンバーワンを誇る朝の帯番組を制作していたが、当時のスタッフのほとんどが管理職となって制作の現場を離れてしまっているんだそうだ。番組づくりのノウハウの伝承がうまくいっていない部分を補うのも中年司会者の私の役目である。
 当面のわれわれの目標は、何年も前に、この同じ時間帯を開拓し、がっちりと固定ファンをつかんでいるD局である。その時間帯の彼らの視聴率はわれわれの3倍から4倍もあるのだ!去年の6月スタートした新番組は苦戦を続けた。3カ月もあんな状態が続けば、東京の局ならひそかに後番組のスタッフがかき集められ、次の準備にとりかかるはずだ。
 しかし私はあせらなかった。D局の番組は、確かに完成度も高いしスタジオのやり取りも上品だ。それに比べてわれわれはドタバタしてるし、私について「司会者はしゃべりすぎだ」という非難の投書が相次いだ。なのに「視聴者はいつか、われわれの方を向いてくれるはずだ」という変な自信があった。
 番組スタートから半年、新年を迎えるころから数字が動き始めた。到底追い付けないと思ったD局に並んだり、何と追い越すことさえ珍しくなくなったのだ。
 377万静岡県民が注視する夕方のテレビ戦争。こんな光景が今、全国で展開されているのである。

東京新聞/言いたい放談 (3月6日)

 『生涯勉強』の時代が来た(平成13年2月20日付)
 あの花柳幻舟さんが、大学で法律の勉強中だということを、ご本人からの手紙で知った。「家元制度」に反対して傷害事件を起こし、服役までした過激な舞踊家は今、卒論準備に追われているらしい。
 幼いころから旅役者として全国を回り、小学校に3年通って以来の学校生活。かけ算九九と分数表を、トイレに貼って覚える一方で、片や同時に経済学や民法商法の専門書と格闘するという、血を吐くような、すさまじい勉強ぶりだったようだ。大学と平行して通った司法試験受験予備校の模試では、東大、一橋の現役連中と肩を並べて、上位に名を連ねているというから大したものだ。
私が50を過ぎたこの年で、大学院に学んでいることを知って、同じ働きながら学ぶ仲間への手紙という感じで、お便りをくださったようなのだが、こっちは情熱の度合いの違いに圧倒される思いである。
 私の通う大学院の学友も、半分近くは社会人だ。福祉医療や看護、教育の現場でぼろぼろになりながらも、時間を工面して通うおじさんおばさん学生は、勤務の関係で遅刻や早退、時に居眠りなんてこともあったりするが、やる気は若い者をしのいでいるように見える。要するに、元を取らなきゃ損だという意識が、強いということだ。
 私と同じ、国分康孝先生のゼミで学ぶ女性は、主婦と専門学校の教師とカラーコーディネーターと、一人で何役もこなしている。「生徒の進路指導の時間が、ちょっと押しちゃいまして」とハアハア息を切らせて、今度は自分が指導を受けるために、教授の研究室に駆け込んでくるのである。
 小子化の進行で、各大学は学生確保に必死の様子だ。自己推薦、書類や面接で人物を総合的に判断して選抜するAO(アドミッション・オフィス)方式といった受験方法の改善と併せて、社会人受け入れにも積極的だ。結構なことだ。社会人は自らの意思で、身銭を切って通ってくるので、大学側もそれなりの覚悟を迫られる。授業料に見合ったプログラムを提供できなければ、アッという間にそっぽを向かれる。
 2年ほど前、中学時代の恩師が、母校の校長を最後に定年を迎えた。その先生から先日、「放送大学で心理学を学び始めたところです」と書いた、はがきをちょうだいした。学ぶということが、若者の特権でない時代がやって来たことを、あらためて実感した。

東京新聞/言いたい放談 (2月20日)

 『頑張って』なんか大嫌い(平成13年2月6日付)
 文化放送の「チャレンジ!梶原放送局」が行なった、「言われて嫌いな言葉は何ですか」と言うアンケートに、「頑張って」という答えが、いくつもあって驚いた。
 「育児の苦労を夫に訴えても、『頑張って!』の一言でおしまい。頑張ってもうまくいかないから、相談してるのに」
 テレビで長くご一緒させていただいた、上岡龍太郎さんがよく言っていた。
 「街で僕のことを『よ!上岡さん頑張って』言う酔っぱらいおるやろ。そんなとき『お前が頑張れ。こんなところでふらふらしてて、妻子は泣いてるぞ』って言ってやるんや。こっちはお前に言われんかて、頑張っとるわい」
 これは上岡さんの一流のユーモアなのだが、言われてみればもっともな話だ。頑張ろうが頑張るまいが本人の勝手。他人が言うのは余計なお世話だ。私が大学院で学んでいるカウンセリングの世界では、悩みを抱えている人に軽々に、「頑張って」と言う言葉を使って、励ましてはいけないというのは、常識だ。
 分かっちゃいるけど、別れ際、だれかれかまわず「頑張って!」と言ってしまう自分が情けない。
 もう20年も前の話だが、来日したアメリカの人気バンド、ドゥービーブラザーズにインタビューした時のことである。最後に、「コンサート頑張ってくださいね」という常とう句で締めくくるつもりで、「Do your best!」と言ってしまった。するとメンバーの一人が「言われなくてもおれたちの演奏は、いつだってベストだぜ!」というような内容の英語を、気色ばんだ調子で口にしたのを思い出した。
 日本人が普段の生活の中で、「頑張って」を連発する現象を、中国人の友人も不思議がっている。
 「頑張ってに似た言葉に、加油(ジャーヨウ)というのがある。ガソリン満タン、アクセル目いっぱいで頑張ろう!という感じだけど、試験や試合を前にした、本気で活を入れようという時ぐらいしか使わない。別れ際、気軽に口にするのは、保重身体(パオチョン、シェンティ)、身体に気をつけてね、というこっちの方だな」
 頑張れば何とでもなった時代が終わり、頑張ってもどうにもならないことの多い、この10年余り。「頑張って」というわれわれの口癖は、バブルの置き土産のように、まだ当分しぶとく生き続けそうだ。

東京新聞/言いたい放談 (2月6日)

 ただいまダイエット中(平成13年1月23日付)
 「梶原さんは、本当においしそうに食べますねえ」
 デジタルテレビ、BS朝日の「原宿コレクション」という商品紹介番組のグルメコーナーで、スッタフ一同を感嘆させるほどの私の食べっぷりにはわけがある。
 現在、私、朝食を抜くだけで簡単にやせられると巷(ちまた)で話題の「朝だけダイエット」実施中。朝4時に起きてラジオ局に向かい、3時間半の生放送を終え、テレビ局に入り、リハーサルの後、食べるシーンの本番までには、ゆうに10時間はたっている。この間、何も口にしていない。空腹感は頂点に達し、ドッグフードのCMを見ても生つばがこみ上げる。
 ましてや、一流シェフが腕によりをかけた料理を、昼ご飯として食べられるとなれば、番組を忘れてむさぼり食らいつく気持ちも、ご理解いただけるだろう。
 私が最初にダイエットしようと思い立ったのは、10年ほど前。ウエストが80センチ台に突入した時である。
 「ぎりぎり78センチまでなら、イタリアものでも何でも用意できるんですがねえ」と、悔しそうにつぶやくスタイリストの声が耳に残った。ウエストが太くなればなるほど、衣装を提供してくれるメーカーの選択肢が狭まり、ジジくさい服しか集められないと嘆いていたのだ。
以来、鈴木その子式からガルシニア、ダンベル体操と渡り歩き、一時は自ら考案した「スルメダイエット」にまでチャレンジした。これは、口寂しくなったらスルメイカをかじる方法。間食防止に効果があり「こりゃあ。いける」と喜んでいたら、ある日、口が開かなくなった。あわてて広尾の日赤病院に駆け込んだら、顎(がく)関節炎と診断され、「スルメが原因とは珍しい」と不思議がられた。
 結局、すべて挫折して、今ではウエスト80センチ台キープさえあやしくなった。そんなところで出合ったのが、「朝だけダイエット」というわけだ。
 「いつもくじけてしまう方、無理も我慢もいりません」という調子の良い宣伝文句に、うさんくささを感じていたが、この本を書いた風本真吾さんに番組に来てもらい、会って話を聞いたらすっかりその気になって、翌日から朝食抜きの日々が始まった。
 あれから1ヶ月ちょっと。残念ながら成果はまだない。風本さんが話の中で「ごく一部、やせにくい人がいることはいますがね」と言っていた一言が、今になって気にかかる。

東京新聞/言いたい放談 (1月23日)

 うっかり7万円の損(平成13年1月9日付)
 ボーッとしていたせいで、7万円損してしまった。
 最近はやりの「40数%お得」という、新規参入の自動車保険の宣伝文句にひかれ、1年ちょっと前、既存の会社から乗り換えた。
 それまでのところは、代理店に電話すると、「今、お父さん昼ご飯で出てるんで、後でこっちから電話させまーす」という、ごく家庭的な雰囲気。ここをやめてしまうのは心苦しかったが、背に腹は代えられない。
 新たに加入した会社は、0120から始まる番号に電話すると、訓練を施された契約係がてきぱきと対応、話が早い。電話を切った直後に、私に合わせたお勧めプランがファックスで、二日後には申し込み用紙が郵送で送られてくる、という手はずのよさだ。保険料は何割とまではいかないが、確かに安く、保証レベルも高い。
 それから約1年。「そろそろ契約更新だったよなあ」と、その保険会社の電話を入れた。
 「大変残念ですが、昨日までに手続きをお取りいただけなかったので、更新できません」
 要するに保健は昨日で切れてしまったので、その後は新規加入となり、これまで無事故無違反の実績を積み上げて獲得した割引率がゼロとなり、保険料は年5万円ですんだのに12万円以上になる。このとんでもなく高い保険料は、今年だけでなく今後も当分続くということだ。
 私はこの保険会社に、恨みがましいことを言う気は毛頭ない。担当者は私の悔しさ、悲しさの十分同情してくれたし、後で調べてみたら、更新の1カ月前には、継続手続についての詳しい案内書が、きちんと届けられていた。ほかのどうでもいいダイレクトメールと一緒に、その辺に置きっぱなしにして目を通さなかった、私のずさんさこそが、責められるべきである。
 ITやEコマースの普及で、メーカーと消費者が直接つながるアメリカ式経営が、問屋や代理店が複雑に絡む日本式経営に取って代わる方が望ましい、などと偉そうなことをどこかで言った覚えもある。そんな私が実は、「梶原さん、そろそろ更新だけど、どうする?こっちで振り込んどこうか?」という、日本的な親切やお節介を期待していたことが情けない。
 今後、日本はますますアメリカ型の社会になっていくだろう。甘えやもたれあいは許されず「自己責任」が求められる。
 今回の失敗をいい教訓に、21世紀を生きていこう。それにつけても、もったいなかったなあ。

東京新聞/言いたい放談 (1月9日)

 悩み解決 温かい言葉から(12月26日付)
 「過敏性腸症候群」が急増中だという。ひどくなると通勤、通学途中、各駅ごとにトイレに駆け込み、ついには出社拒否や不登校になってしまうこともあるらしい。先日、この診察にあたっている国立国際医療センターの松枝啓医長に、お話を伺った。緊張した場面で、急な便意を催すことのある私にとって、人ごとと聞き流せない話だ。
 「これは、頭のいい、感性が豊かな人だけに表れる症状なのです。実は私も、私の息子もその仲間でして、彼には、おまえはお父さんの血を引いてありがたいと思うようにと言っています。今悩んでいる方も、自分達は選ばれた人間であるという自信と誇りを持って下さい」
 いろいろな病院を回り、検査しても何の異常も見つからず「気にしすぎ」「神経質だ」と決めつけられてきた患者にとっては、先生のこの温かい言葉は何よりの薬であると感心した。
 身体の苦痛を訴えている人にも、時には投薬以上に「言葉」が有効である。心の悩みを抱えている人にとっては、なおのこと「言葉」によるリレーション(信頼関係)づくりが大切である、というのが私が大学院で学んでいる、カウンセリング心理学の考え方である。
 指導教授・國分康孝先生によれば、相談者からの電話を受け取った瞬間から、カウンセラーの仕事は始っているのだそうだ。「何はともあれ、懇切丁寧に相手の立場に立って分かりやすく、相談室までの道順を伝えることだ」
 初めてやって来ようという人に、電話で簡潔に道案内するというのは意外に大変だ。説明がうまくいかず、来談者が道を間違え、時間通りに到着できなかった場合、来談者は、説明を理解する能力に欠けていたと自分を責めて落ち込んだり、逆に不十分な説明に怒りを覚えたりするかもしれない。そうなれば、初対面の両者に信頼関係が生まれにくい状況となってしまう。待ち合わせの場所の説明がうまくいかないせいで、もめるカップルというのも結構いるものだ。
 「近々、カメラやナビゲーションの付いた携帯電話が普及するから、そんなトラブルは発生しなくなるさ」と言う声もある。ITの進展によって、ますますビジュアル情報が便利さをもたらしてくれるだろう。だが、それによって人間同士が、言葉によって信頼関係を築いていく能力が、減るようなことがあったら大問題だ。道順を教えあう言葉のやりとりから生まれる信頼感こそが、悩みの解決への第一歩なのだ。

 ありがとう1000days(12月12日付)
 21世紀まであと3週間。この来るべき新しい世紀を初めて意識したのは3年前、1997年の暮れのことであった。
 立て替えのため閉鎖となる、東京・日比谷にある東京宝塚劇場最期の公演の立ち見席を、やっとの思いで手に入れた私は、宝塚の現役生徒さんやOGの熱唱に酔っていた。そんな時聞こえてきた、おばさまグループの一人がため息交じりにつぶやいた一言が、耳に残った。
 「今度ここに来る時は、もう21世紀なのよね」
 あれから3年がたち、まもなく21世紀最初の日に、新しい東京宝塚劇場が開場する。
 私が宝塚を最初に見たのは16年前、月組東京公演「飛んでアラビアン・ナイト」である。
 男役トップは大地真央、相手の娘役は黒木瞳。世の中に、こんなきれいなカップルが存在するんだ!感動して、そのままはまった。
 「男のくせに」とやゆされる一方で、宝塚ファンで得したことも少なくなかった。局アナ時代、社内で“お局様”と恐れられるベテラン女性社員は、私が同好の士と知るや、急に優しくしてくれるようになった。
 また先日、室井佑月さんと対談したときもそうだった。モデルや銀座のホステスを経て、今は恋愛に関するエッセイや小説で売り出し中の彼女の著書には「男は顔だ。小太りの丸顔など論外だ」との記述がある。
 「嫌みな女だ」と、気乗りしないまま始った対談だったが、途中でお互い宝塚ファンだということが分かった途端、十年来の友人のようにうち解けて、大いに盛り上がってしまった。こんなこと、宝塚ファン同士ならよくあることだ。
 普通のタレントと違い、タカラジェンヌニ関する情報はほとんど入ってこない。入手困難なチケット確保に涙ぐましい努力をし、生活を切り詰め、劇場に足を運び、応援する生徒さんの出番が増えることを、ひたすら祈り続ける。「女が女に入れ込んでバカみたい」などという、心ない中傷。ファン同士に、さまざまな困難を乗り越えた“戦友”としての連帯感が芽生えたとしても、不思議はないのだ。
 新劇場が使えるまでの3年間、仮設の専用劇場として頑張ってくれたTAKARAZUKA1000days劇場も、とうとうお役御免の時を迎える。当初予定の取り壊しは、某パソコン量販店が利用してくれることで免れそうだ。21世紀への橋渡しを、立派に務めてくれた1000daysよ、ありがとう。

東京新聞/言いたい放談 (12月12日)

 “スター予備軍”の奮闘(11月28日付)
 ニューヨーク・ブロードウェーあたりのコーヒーショップには、スタイルも笑顔もとびっきりな女の子が、注文したものを踊るようにして運んできてくれる。ミュージカルファンや劇場関係者の目に留まろうとする、スター予備軍のアルバイトだそうだ。
 東京・市ケ谷の防衛庁前に、これとちょっと似たコンビニがある。店員は全員、明日のスターを夢見るタレントの卵たち。店内を晴れの舞台に見立てて、買物客にこぼれんばかりの笑みと、明るいかけ声を響かせている。この十月、テレビ朝日のバラエティー番組「年中夢中!コンビニ宴ス」のスタートに合わせてオープンした、「ドンチッチ」という名のコンビニだ。
 五十二坪の店内では、普通のコンビニにあるものはもちろん、スタジオのみのもんたさんを中心とする「新商品開発部員たち」が、提案したり採用したりしたアイデア商品も販売している。その様子を実況するのが、私の役目である。
 テレビと連動した企画とはいえ、定員たちは昼もなく夜もなく、週五日、一日八時間のローテーションできっちりコンビニ店員に徹している。スターへの夢を抱きながら働く彼らは、やる気満々だ。休憩時間はバックヤードで、お笑いコンビはネタ合わせ、俳優志望はセリフの練習に汗を流す。
 「入口に僕らの写真とプルフィールをはって、人気投票やろう」「三つあるレジをそれぞれ、女優、タレント、お笑いと志望別にわけて担当しよう」と次々アイデアも出てくる。
 おかげで店員たちにも、ファンがつき始めた。
 そこで思い出したのが、以前、私を青山のあるイタリアンの店に連れて行ってくれた、友人の自慢話である。
 「ドリカムの吉田美和がさあ、北海道から出てきてすぐのころ、この店でピザ運んでたのをオレ食ったんだぜ」
 ドンチッチの店員にいち早く目をつけてくださった方々も、こんなふうに「私なんて彼がまだコンビニで、いらっしゃいませ、なんてやってるころから知ってるのよ」と、自慢してくださる日が来るかもしれない。
 先月は某テレビ局関係者が、店員スカウトのため様子を見にきた、といううわさも聞こえてきた。
 「君たち、将来大スターになっても、道ですれ違ったら知らん顔しないでくれよな」
 最近、彼らと顔を合わすたび、こんなお願いをしてしまう私である。

東京新聞/言いたい放談 (11月28日)

 『愛社精神』の人よ・・・(11月14日付)
 かつて社員として働いていた文化放送の社報を久々に目にした。人事欄には「デジタル開発室へ異動」という文字が踊っている。テレビもラジオも12月から始まるデジタル放送への対応に追われているようだ。
 そんな中、営繕係のMさん退社の記事を見つけた。
 Mさんは半世紀近く前、開局早々の文化放送にドライバーとして採用された。徳川夢声、大宅壮一といった昭和の怪物たちの送り迎えから60年安保の報道取材などにも出動。
 私が入社した1973年当時はすでに営繕係に転じていて、スタジオのドアの閉まり方が緩いといえば飛んできて、金づち一つでアッという間に直してくた。クイズの抽選箱から打ち合わせ用のホワイトボードまで、お願いすればその日のうちに地下の作業室で作ってきてくれた。
 魔法使いのよなMさんは「ネックレスの留め金が切れた」だの「靴のヒールが片一方とれた」のと泣きつく女性社員の無理難題にもニコニコ顔で引き受けてくれた。
 Mさんはまた、立ち回り先で他局のラジオが流れていると「うちの方が面白いよ」と文化放送に替えさせてしまうのでも有名だった。
 Mさんよりずっと多くの給料をもらっている幹部クラスの社員でも、なかなかできないことだ。
 今より貧しく、でもずっと元気だったころの日本人は、大企業の社員から下請け孫請けに至るまで、プライドと愛情あふれるまなざしで「うちの会社は」「うちの製品は」と熱く語っていたような気がする。
 「今や終身雇用も崩れ、時代が違うよ」という、さめた見方も当然あろう。現に私自身、中途退社した身である。えらそうなことは言えないが、縁あってかかわることになった組織への思いが、あまりに淡泊な最近の風潮はちょっと寂しい。
 Mさんがいなくなって最初の日、清掃係のAさんは地下作業所の、着替えの入ったロッカーのかぎを家に忘れてきたことに気が付いた。「ああ、こんな時Mさんがいたらなあ」とつぶやいた。そして「もしや」と思いMさんの使っていた机の引き出しを開けてみるとそこには何と「Aさんのロッカーのスペアキー」と、きちょうめんな字で書かれたタグのついたかぎが置いてあったという。
 「最後のご奉仕に」とMさんがきれいに塗り替えた廊下の壁を見ながら、Mさんの昔かたぎの愛社精神に感動してしまった。

東京新聞/言いたい放談 (11月14日)

 深刻な就職難の余波(平成11年11月16日付)
 私の担当する人生相談番組に、入社試験を何十社と受けて、ことごとく落ち続ける女子大生が登場した。「今では私の存在そのものが、否定されてしまったような気がしてきて・・・」とすっかりしょげ返っている。われわれが発する言葉も彼女にとっては、むなしく響くばかりのようだ。
 こんな時、変に励ますのは、相手を追いつめることになって良くないと知りながら、最後につい「頑張って下さいね」と言ってしまった。頑張り抜いて落ち込んだ自分に、何をこれ以上頑張れというのかと彼女は恨めしく思ったことだろう。
 本当に、このところの就職難は深刻だ。知り合いの東京芸大声楽科の学生によれば、中・高の音楽教師の職にありつくことは、今や至難の業だというし、若手の弁護士も引き受けてくれる事務所がなくて、予備校のアルバイトで食いつないでいる人までいるそうだ。
 番組の資料整理のアルバイトに来てもらっている早稲田大三年の男子学生は「サークルの先輩で今年卒業して就職できたのは、半分もいませんでした」とぼやいている。
 その彼、クマのプーさんみたいに太っていたのが最近、げっそりやせてきた。訳を尋ねると、「就職の面接でデブは不利だ」と先輩にアドバイスされ、過激なダイエットを実践中という。
 20数年も昔、われわれの世代が就職試験前に長い髪を切り落とした時に感じたセンチメンタルな思いなど、今から考えれば甘いものだ。今の連中は就職のためなら整形手術もいとわないぐらいの切迫感が感じられる。
 職を得ようと、日本中が必死になっている時だからこそ、なおさら、東海村の核燃料加工会社の職員たちの手抜き放題の仕事ぶりが許せない。まともなチェックもしないまま安全宣言を出し、またそれを引っ込めたJR西日本の態度に腹が立つ。確固たる仕事があって、働ける喜びをかみしめれば、もっとまじめにやれるだろうに。
 その一方で、しっかり借金の取り立てをしないと、首にするぞと脅かされ、連帯保証人に「目ン玉や腎臓(じんぞう)売っても金つくれ!」と脅迫した、商工ローン社員のケースもあった。
 ここの社員たち、働く場所はいくらでもあるという時代なら、もしかすると、解雇を武器に無理難題を押しつける社長の言うままには、ならなかったかもしれない。不景気で職がないという影響が、こんなトンでもない形で表れてしまった。

東京新聞/言いたい放談 (平成11年11月16日)

 奇跡を呼んだ本番(平成11年11月30日付)
 明日から師走。去年の大みそかの夜は、鹿児島県・枕崎沖の海上にいた。中継基地である船の上は、凍えるほどの寒さだった。テレビの年越し特番で、素潜り日本新記録に挑む若者をリポートするのが私の仕事だ。
 マスクと足ヒレだけでどこまで深く潜れるかを競うこの競技は、昼間の穏やかな海で行われるのが普通だが、今回は真夜中の荒海が舞台。何十人ものスタッフが連日泊まり込んで準備している様子を見て、挑戦者は何としてでも記録達成を、というプレッシャーに身がすくむ思いだったろう。
 そのせいか数日、体調を崩している。現場を仕切るディレクターは気が気ではない。病院に連れていき点滴を受けさせ、早く練習を再開してほしいとせっつくが、若者は意気消沈するばかり。
 それ以上に困難を極めたのが中継準備だった。潜る若者の目印となる、水面から海上まで真っすぐ張られた水深を刻んだロープ。海の中、水中カメラマンや昭明さんたち十人近くが宇宙遊泳みたいに、浅い所から深い所までそれぞれのポジションに浮かびながら、目前の通過する挑戦者を写そうと待ち構える。
 スキューバをつけたダイバーを挑戦者に見立てて、繰り返し行われたリハーサルでは、カメラや照明のケーブルが絡み合ったり、カメラさんたちが潮に流されたりで、私が船上で見るモニター画面には、ぼんやりした海中の映像が、とぎれとぎれ映るばかりだ。
 何度も水中で上昇下降を繰り返し、疲労困ぱいのカメラマン。船酔いと寒さで、思考停止状態の私。追いつめられて絶不調の挑戦者。リハーサルはすべて失敗。私は水中映像なしを前提の中継コメントを準備し始めた。
 そして本番一時間前。船のへさきに立ったディレクターがメガホンを手に、全スタッフに語りかけた。「私は新記録達成の瞬間を格好よく全国に中継しようとの一心で、むちゃなことばかり言ってしまいました。心から反省しています。本番は事故のないよう、無理せずやれば十分です」
 いよいよ本番。心なしか風も波も収まってきた様子。大きく息を吸った若者が水中に身を躍らせた。ぐんぐん潜っていく彼の水中の様子が途切れることなくモニターにくっきり映っている。カメラも照明も完ぺきな仕事ぶりだ、私は興奮してうわずった声で実況を続けた。そして、何と若者は日本新記録を達成した。
 この日から私は、奇跡を信じるようになった。

東京新聞/言いたい放談 (平成11年11月30日)

 心を傷つける言葉(平成11年12月14日付)
 「君は頭が悪いのに変に一生懸命だから、うっとううしいんだよな」「華がないっていうか、この世界向いてないんじゃない?」。これは、これまで私が言われて傷ついた言葉のごく一部。カメラやマイクの前に立つ仕事をしていれば、このたぐいを少なくとも百ー二百回は言われているものだ。
 だから、ある生命保険会社のアンケート「傷つきました、この一言・男性偏」の結果を見て「何だこんな言葉で」と拍子抜けしてしまった。
 「役に立たない」「そんなこともできないのか」「何年やってんだ」という、仕事の能力不足を指摘するものが中心で、言われるのがいやなら極端な話、職場を辞めてしまえばすむことだ。
 これに比べて「女性偏」ずっと深刻だと思った。その上位にランクされている「太ってるね」「結婚はまだ?」「子供まだ?」職場の上司ばかりか、友人、親せき、親兄弟、近所のおばさんから通りすがりの赤の他人にいたるまで、時候のあいさつのように気軽に言ってくるだけに防ぎようがない。
 法の華の足裏診断マニュアルにも、最も効果的な脅し文句の一つとして「一生独身で終わる」という言葉を使え、と書いてある。彼らは「結婚まだ?」を言われ続ける人たちの心の傷を、巧みに利用しているのかもしれない。
 文化放送「本気でDONDON」のリスナーからもさまざまな体験が続々と寄せられた。既婚の三十代半ばすぎで、お子さんのいない方たちは行く先々で「なんで子供つくらないの?」「苦労がなくていいわね」「お金たまるでしょう」などと言われ傷ついている。本当に、よけいなお世話だ。
 ある女性は流産したとき、しゅうとめと義姉に「この次、頑張ればいいからね」と言われ、いたく傷ついたという。言った方は励ましたぐらいのつもりかもしれないが、言われた側にしてみればその押しつけがましいプレッシャーを疎ましく思う気持ちは、男の私でもよく分かる。
 風俗関係の接客業をしている女性は「なんでこんな仕事してるの?と客に聞かれるのが一番傷つく」というファックスを送ってくださった。中には、自分が間抜けな格好しているのも忘れて「いつまでも、こんなことしてちゃいけないなあ」などと説教するおやじもいるそうで、そんな寝ぼけたやつには間違ったふりをして、頭から冷水シャワーでも浴びせちゃえばいいのにと私は思う。

東京新聞/言いたい放談 (平成11年12月14日)

 2000年問題と危機管理(平成11年12月28日付)
 あと三日。コンピューター2000年問題の、その日が迫ってきた。
 世間では「ロシアや北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)から、コントロール不能のミサイルが飛んでくる」「原発が次々爆発する」と危機感をあおるものから、「何も起きないさ」と高をくくるのまで、さまざまな説が飛び交っている。一体何を信じていいのか、戸惑ってしまう。
 そこで小渕総理の「2000年問題に関する年末年始に向けた準備について」という新聞広告を子細に検討してみた。
 不安を解消しようという狙いのようだが、水、食料、燃料など、各項目をよく読んでみると、「危機管理の対応も進み、大きな混乱は生じないと考えますが、・・・念のため準備をすることは重要なこと、十分注意することをお勧めします」という表現の繰り返し。これでは危機が来るのか来ないのか、安心していいのかいけないのか、さっぱり要領を得ない。
 もっと詳しく知りたくて、その広告にあった各省庁問い合わせ先のうち、「二千年問題対策室」という仰々しい看板を掲げた部署い電話したが、その日が天皇誕生日であったためか、運輸省以外は、治安をつかさどる警察庁も、銀行のATMなどの混乱を心配するはずの金融監督庁も外務、厚生、通産も、どこも担当者は出てこない。
 いくら祝日とはいえ、年末にきてこの対応を見れば、国はこの問題をあまり本気に考えていないと思わざるを得ない。
 かつて某テレビ局で、局舎の屋上に「UFOを呼ぼう」というバラエティー特番の司会をタモリさんとやったときのこと。台本には「UFOが現れなかった場合」と「UFOが現れて宇宙人とコンタクトする場合」の二つのケースが詳細に書かれていて、その本気さに、笑いながらも感心してしまった。これと国の危機管理を同列に言うつもりはないが、政府ももう少し本気で、具体的な対応策を示してほしい。
 注目のこの大みそか、全国でカウントダウンイベントが行われる。私も渋谷駅で、大音量スピーカーを駆使した、年越しイベント参加する。司会に選ばれた理由はどうやら、地声が大きいということらしい。
 いざ停電という時のために、当日、高性能マイクとは別に、野球の応援などで使うプラスチック製のメガホンが用意されているといううわさも。輝かしい2000年の幕開けに、そんなもん使いたくないなあ。

東京新聞/言いたい放談 (平成11年12月28日)

 大学受験に隔世の感(1月11日付)
 「あーあ、早く四月になんないかなあ」。わが家のノンキな娘も、さすがに目前に迫った大学受験のプレッシャーを感じ始めたようだ。部屋の隅には、各大学の入学案内のパンフレットが、山のように積まれている。
 三十一年前に受験した私のころは、大学まで取りに行ったり、駅前の書店に申し込んだりしていたのに、今ではインターネットでメールを送れば、ほとんど宅配便で届けてくれる。オペラのプログラムみたいに豪華な物を、しかも無料で。
 大学によっては、その後、学園祭の案内やクリスマスカード、年賀状と、まめに送ってくる。少子化時代に生き残りをかける、大学側の意気込みが感じられる。
 どの大学も、そのパンフレットで力を入れているのは、就職実績のページで、いかに一流企業に人材を送り込んでいるかを、目いっぱいアピール。企業とのパイプの太さを、強調している。
 われわれのころに、こんなことをしたら「ブルジョア資本主義に手を貸す反革命的産学協同路線粉砕!」と、大学は世間や学生にボコボコにされていたに違いない。1969年の新年、学園闘争の激化で東大はじめいくつかの大学で、受験が中止されそうな雲行きに心配になった私は、慶応大に通っていた中学時代の先輩を訪ね「どうなりそうですかね」と聞いたところ、「受験なんてプチブル的なこと考えるな」と説教をくらってしまった。あの人今、何やってんのかなあ。
 それにしても今の大学は、本当に親切になった。入試もAO,推薦,A方式,B方式に加えて、「得意科目入試」なんてものまである。好きな科目二つで受験できるばかりか、そのうちのより得意な方を申告すると、その得点を倍付してくれるんだそうだ。
 学部も、かつての法、文、経のワンパターンから、環境情報、サービス経営、現代福祉、国際開発のように多岐にわたり、学科となればその学科名を見るだけで、何が学べるのか一目瞭然(りょうぜん)という打ち出し方をしている所が多い。実際に役に立つ実践的学問を教えようという、大学側の決意だとすれば結構なことだ。
 明確な目的意識のないまま、とりあえず数学が苦手だから、法学部にでも入っとこうか、なんてことだから、六法の引き方がいまだにわからないようなやつ(あっ、オレのことだ!)大量に排出した、あの時代には戻ってほしくない。

東京新聞/言いたい放談 (1/11)

 敬語習得システム崩壊(1月25日付)
 某新聞の行った日本語についての世論調査が、興味深かった。敬語について、世代を超えてほぼ全員が「必要だ」と答えている一方で、多くの人が「適切に使われていない」と嘆いている。年功序列の秩序が崩れ、目上だ目下だというけじめを説く「敬語」など、もはやお役御免と思ったのは見当違いらしい。
 オンエアでの不適切な使い方を指摘されることのある私としては、敬語などうっとうしいという感じもするが、その利便性に感謝したくなることもある。
 何かにつけてあいまいな表現を好む日本人は、しばしば主語を省いた言い方をしてしまう。それでいて意味が通じるのも、尊敬、謙譲、丁寧を使い分ける「敬語」のおかげだ。
 「おっしゃる件につきまして申し上げましたところ、結構です、とのお答えでございました。いかがいたしましょうか?」。こんな主語のないやりとりでも、顧客を前にした営業担当が、顧客の依頼を受けて第三者の了解を取り付けた後、顧客の判断を仰いでいる、という複雑な人間模様が推察できる。これは「敬語」を理解すればこその芸当である。
 しかし、残念ながら若い世代において、「敬語能力」は確実に低下していくことだろう。元凶は「携帯電話」である。
 かつて電話は、一家に一台。鳴れば、家長たる親父が受話器を取ったものだ。だからガールフレンドに電話しようなんてときは、緊張を強いられる。ダイヤルする前に「夜分遅く恐縮です。私、お嬢様の級友で○○と申します。まり子さんはご在宅でしょうか?」ぐらいのフレーズを口にして、何度もリハーサルするのは常識であった。
 そして勇気を振り絞って番号を回し、出てきた親父の不機嫌そうな声におびえながら、冷や汗ものの敬語を繰り出し、やっとの思いで取り次いでもらえるのだ。こんなハードルを何度も乗り越えるうち、自然と目上の人への接し方、「敬語」の正しい使い方を身に付けていったのである。
 それが親子電話が登場し、コードレスホンの子機が普及し、ついに完ぺきにパーソナルな携帯電話の時代となった今、出てくる相手はガールフレンド本人と決まっている。口うるさい、おやじと接触する機会はゼロだ。だからいきなり「よお、まり子、起きてた?あのさあ」でOK。若者はこうして、永遠に敬語学習のチャンスを、逃してしまったのである。

東京新聞/言いたい放談(1/25)

 通院歴は報道の免罪符か(2月8日付)
 新潟の三十七歳の監禁男。「通院歴あり」ということで、逮捕後も名前を報じられることはないだろう。通り魔殺人やハイジャック殺人など、異常な事件を匿名で伝えるニュースはしばしば「通院歴あり」という常とう句で、締めくくられる。
 パターン化された、この手の報道に接すると、「なるほど、そういうことなのか」と変に分かった気になり、思考停止状態に陥る。以後はマスコミも、はれ物に触るような腰の引けた報道ぶりで、事件そのものも次第に、記憶のかなたに追いやられてしまう。
 私はここで、被害者の人権に比べて、加害者の人権ばかりが守られすぎるのは不当だ、という類の議論をしようというのではない。
 具体的に、どんな精神障害が、どのような事件を引き起こすことになってしまったのか・・・・について触れぬまま、何もかも「通院歴」のひと言ですませてしまうことで、われわれが、“心の病”について、真正面から考える機会を逃してしまっていることを、問題だと言っているのだ。
 さらに、心を病んで精神科に通院する人たち全般に対する偏見をも、助長することになると心配するのだ。凶悪な事件において、「通院歴」という文字を繰り返し見るうち、精神かへの「通院」そのものが、何か特別に異常で大変なことと、刷り込まれていきはしないかと懸念するのだ。
 リストラだ、倒産だ、家庭崩壊だというこの時代、心の悩みを抱え、精神に変調をきたし、自殺する中高年が激増している。彼らにとって精神科が、もっと気軽に行ける敷居の低いところであったなら、悲劇は避けられたかもしれない。ましてや先天的、器質的な精神障害に苦しむ人や家族が、世間の目を気にして、精神科の支援を受けることを、ためらうような状況があってはならない。
 精神障害者の犯罪は、とりあえず匿名報道にしておいて、最後に「なお男には通院歴があった」で締める。こんなマニュアル対応めいた報じ方が、とんでもない無責任な誤解をも生んでいる。
 「何やっても通院歴さえあれば顔も名前も隠してもらえるんだろう。おれも一度行っておくか」
 精神障害者や心に悩みを抱えた人たちが、十分な社会的サポートを受けられる環境づくりを訴えていくことこそ、マスコミの役割であり、それが不幸な犯罪を減らすことにつながる。“人権屋”の顔色ばかりを、うかがっている場合ではない。

東京新聞/言いたい放談(2/8)

 ハイレベルな韓国文化(2月22日付)
 これはすごい!韓国映画「シュリ」を見て、つくづくそう思った。リアルな戦闘シーン。スリリングな展開。魅力的な役者たち。三億円という低予算で作られたとは信じられえない迫力満点の大作だ。中学三年の息子は今度の日曜、「007」を見るか、「シュリ」にするかで迷っているらしい。「シュリ」とはそんなレベルの映画である。
 そこで思い出したのが二十年近く前、アジア各国のアーティストを招いてのイベント「アジア・ミュージック・フォーラム」の司会を担当した時のことである。
 香港のサミュエル・ホイ、フィリピンのフディー・アギラといった当時のスターにまじって、韓国を代表して登場したのが、その後、日本でもポピュラーな存在となるチョー・ヨンピルであった。彼の歌「恨みの五百年」を初めて聴いた時の衝撃が、「シュリ」でよみがえったのである。
 ヨンピルの圧倒的な力強さ、表現力あふれる歌いっぷりに、感動した私は韓国人スタッフの一人に「いやあ、今の日本にはないタイプですね」と言ってしまった。彼は一瞬、表情を険しくして「ヨンピルは世界のスーパースターです。日本人ごときと比較してほしくない」と気色ばんだ。
 当時は文化的交流も少なく、日韓関係そのものも今ほどスムーズとは言えなかった。いや、むしろ何かにつけて「秀吉の朝鮮出兵」「三十六年の植民地支配」といった暗い歴史が影を落とし、韓国側はしょくざい感と居直りの間で揺れていた。音楽も映画も「韓国もの」というだけで、政治的なニュアンスを帯びてしまう、そんな時代であった。
 しかし、今われわれが「シュリ」について、どんなコメントをしても、自信満々の彼らは、あの時のような過剰な反応はしないだろう。
 ここへ来て、日本の女子大生やOLの間で韓国旅行が大ブームだ。「近いし、安いし、おいしい?」語尾上げしゃべりで、韓国を選んだ理由を語る彼女たちの頭を、「日韓に横たわる過去の歴史」が、かすめることもないようだ。
 ワーキャー言いながら買いまくり、食べまくる彼女たちの能天気ぶりが現地で問題になりやしないかと、われわれ世代ははらはらする思いだ。
 しかし、「シュリ」という映画を作り出した今の韓国国民の成熟と文化レベルの高さを見ると、彼女たちでも今はおうように受け止めてもらえそうな気がする。

東京新聞/言いたい放談(2/22)

 女性の社交力のすごさ(10月31日付)
 「顔見知りの男たちがおのおののガールフレンドを連れてくるパーティーは盛り上がるけど、その逆は全然だめ。初対面の男同士って、場に溶け込めないから、しらけちゃうのよね」
 「チャレンジ!梶原放送局」というラジオ番組のパートナーで、合コンの女王との異名を持つ水谷加奈嬢のお言葉である。
 なるほど、病院の待合室でも男たちは腕を組んであさっての方を見るばかり。これが女性だと「冷えてきましたね」ねんていう、さりげない言葉掛けがきっかけで雑談がはずみ、診察を終えて帰るころには「じゃあ明日の演舞場、杉良講演ご一緒しましょうよ」というところまで付き合いを深めてしまったりする。女性の“社交力”のすごさだ。
 一方、不登校、引きこもり、出社拒否症、人付き合いがうまくいかず深刻化するのは大抵、男だとも言われている。
 私が通う大学院(東京成徳大心理学専攻)の公開講座で、ある先生もおっしゃっていた。「男には社会性はあるが、社交性がない。女には社会性はあまりないが、社交性はある。現代をたくましく生き抜くうえでより大切なのは、社交性である」
 会社という組織の中で、それなりの役割を与えられていた時は、十分社交的に振る舞えていたはずなのに、定年退職したとたん、仕事と一緒に群れ合う仲間も失い、行く当てもなく家に引きこもってしまう男。一方、妻といえば、近所付き合い、趣味やサークル活動を通じて豊かな交友関係を広げている。仕方なく妻の行く先をついて回るしかない、「ぬれ落ち葉」とさげすまれる男たちも少なくないと聞く。
 最近話題の女子アナ。女としての性的魅力を武器に、うぶな野球選手に言葉巧みに近づいて、まんまと玉のこしの座を射止めるととんでもない女、と言う声もあるが、どうだろう。まれにそんなケースがあったとしても大半は、取材する側、される側、その間に立ちはだかる大きな壁を、持ち前の“女の社交力
”でたくましく乗り越えて、選手の本音を引き出そうとする優秀な女性たちであると私は思う。
 女性たちは今後ますますの社交性を生かし、活躍の場を広げていくことだろう。IT(情報技術)進めば進ほど、人は人間的交流(カウンセリング心理学でいうリレーション)の能力を求められるに違いない。「男の子は黙って机に向かって勉強してればいいのよ!」なんて言ってたら、男の未来は大変なことになる。

東京新聞/言いたい放談(10/31)

 かかわった人が続々・・・(10月17日付)
 1998年2月。タレント、スタッフ合わせて百人ほどが、常夏の島グアムに集結した。ボクシング元世界チャンピオン・渡嘉敷勝男さんをキャプテンとする、スポーツ選手出身チームと、そのまんま東さんがキャプテンを務める、スポーツ好きタレントチームが、カヌーやヤシ投げ、トライアスロンで競い合う「第一回グアムリンピック」というテレビ番組の収録のためである。
 実況と進行は私、梶原、そして司会は田代まさしさん。
 好プレー珍プレーが続出、感動的なシーンも随所に見られ、ロケ最終日の夜、ホテルのプールサイドで行われた打ち上げは盛り上がるだけ盛り上がった。帰国後の編集作業も順調で「おかげで良い視聴率がとれそうです」とプロデューサーは目を輝かせていた、のだが。
 放送予定の数日前、最終ナレーションどりのためにスタジオに向かう私の携帯が鳴った。「録音は延期です。実は渡加敷さんが」。元世界チャンプが、かかわったと報じられた暴行トラブル疑惑で、ワイドショーは大騒ぎ。番組をそのまま放送するというわけにもいかないようで、急きょ渡加敷さんの部分を編集ですべてカット。目ざとい視聴者なら、「対抗戦なのに、どうして片一方にしかキャプテンがいないんだろう?」と、不思議に思ったろう。
 しかも、ゴールデンタイムの二時間枠のはずだったこの番組は、半年もお蔵入りの揚げ句、時間を半分ほど削られて、夕方の目立たない時間帯に、ひっそりと放送されたのである。三日三晩徹夜で編集し直したスタッフも大変だったが、多くの関係者に迷惑をかけてしまったと、自らを責めた渡加敷さんが、一番つらかったと思う。
 その後、何と他方のキャプテン・東さんも、謹慎生活を体験することとなった。「自分の登場場面に“この番組は○月○日収録したものです”というテロップを出されるのはつらいものです」と、私のラジオ番組でしみじみ語ってくれたのが、つい先日のこと。
 と思ったら、今度はあの時の司会、田代さんが事件を!さらに一週間後、ふと目にした雑誌の記事に、またまた驚いた。「近藤サト、連日デートの新恋人」の見出しで登場している元テレビ局員とは、あの番組のプロデューサーだったのだ。まあこの件はおめでたい事のようなので、ホッとしているのだが。
 いろいろあった「グアムリンピック」。次回開催の声は聞こえてこない。

東京新聞/言いたい放談(10/17)

 30年ぶりの“新学期”(3月21日付)
 この春、わが家の家計は、大変なことになってしまった。息子は高校進学、娘は大学進学と、これだけでも十分きついというのに、五十歳を前にした私までもが、大学院に進学なんてことになったからだ。
 かねてより興味があった、臨床心理学やカウンセリングを学ぶための大学院受験を決意、予備校に通い始めたのが去年の夏のことであった。その時、妻は「ああ、また病気が始まったか」と、ため息をついた。
 確かに、私の“ケイコとマナブ”歴は、相当なものだ。
 テニス、ゴルフ、水泳といったスポーツ系からピアノ、ウクレレ、サックスの音楽系のスクール通い。若き日の古手川祐子さんともクラスメートだった朗読教室や、川島なお美さんと共に学んだ英語教室。半年通った上智大学コミュニティカレッジの中国語、さらに半年、天安門事件で先生が姿を隠すまで続いた、青山中国語センターでの個人レッスン。
 これに、通信教育のペン習字、日本語能力検定試験を加えれば、これは“スクール依存症”という名の立派な病気だ。
 こんなふうに、いろんなものに手を出すくせに大抵途中で挫折して身に付かないのだ情けない。大学院では、そんなことがあってはいけないと、決意を新たにしている。
 働きながら通える社会人大学院を目指す人には個性的なタイプが多い。「幼稚園入試を頑張る孫との競走で、合格の栄冠を手にしました」と明るく語る67歳男性もいれば、公認会計士を目指す不動産会社に勤務する中年サラリーマンや、MBA取得でキャリアアップを図る銀行員もいる。
 予備校で、私と同じ心理学を専攻するもののなかには、臨床心理士を夢見る女性教師や、企業で中高年のリストラ相談業務を担当し、カウンセリング技術の必要性を痛感したOLなどさまざま。
 ちなみに、私の受験の際「時代の一大変革期に、不安を募らせ自殺に走る中高年への心理的援助をテーマに研究したい」と、仰々しい志望理由を書いている。
 これら受験生に共通するのは、強烈な目的意識とやる気。そして、社会の荒波にもまれて初めて知った、学ぶことへのときめきだ。
 「勉強が面白いなんて超変わってる」と、父親を変人扱いする娘たちの冷たい視線にもめげず、30年ぶりの新学期のスタートを、ウキウキとした気持ちで待ちわびる今日このごろである。

東京新聞/言いたい放談(3/21)

 サボる行政 糾弾せよ(3月7日付)
 このところ、公務員はさぼりまくっているようだ。新潟県警は母親や保育所の度重なる出動要請を、「民事不介入」を盾に断り続け、少女救出のチャンスを逸してしまった。指揮を執るべき本部長がそのとき、温泉でマージャンざんまいだったと知り、さらにあきれた。監察業務をほっぽり出した警察局長ともども、見事なサボりっぷりだ。
 上尾警察官はストーカー被害を訴えた女子大生の悲痛な叫びを「痴話げんかのたぐい、民事不介入」とでも思ったのか、まともに受け止めず「何かあったらまた来てください」などと、寝ぼけたことを言ってサボり、女子大生は桶川駅前で殺された。
 学校の先生は、生徒の人権を無視する体罰教師、暴力教師と言われるのがいやさに適切な指導をサボっているうち学級崩壊を招いてしまった。
 そして、宇都宮の女児衰弱凍死事件である。
 生活困窮に、せっぱ詰まった様子の母親が児童手当の申請にやってきたとき、窓口の係が「生活保護とという制度もありますが」の一言を付け加えることをサボったことも、幼女の衰弱死につながった。担当者は「個人のプライバシーに配慮して、深く事情を聴かなかった」のだそうだ。
 戦前の警察や行政が市民生活に入り込み、人権やプライバシーを踏みにじったことへの深い反省から出てきた、「民事不介入」「プライバシーや人権尊重」という原則。これが今、サボりの言い訳に使われている。
 マスコミはこれまで「権力の監視役」という建前から、権力の「作為」(やったこと)について厳しくチェックしてきた。その「作為」が、いかに間違った悪いことであるかを、激しく追求するのがもっぱらで、あまりほめたりはしない。なまじほめて「」などとやゆされたら、かなわないからだ。
 行政はたたかれても、いちいち細かく反発しない。商品について批判がましいことを言われると血相を変えてクレームを付けるスポンサー筋に比べれば、たたきやすい。
 何かやれば、たたかれる。ほめられることはまずない。ならば何もしないに限ると、行政側がサボりまくるとしたら、とんでもないことで。国民は、やるべきことをやらない「不作為」についてもっと厳しく糾弾すべきだ。そして彼らがいいことをやったときは「ようやった!」と正当に評価すべきだ。しかし最近そういうの、石原東京都知事以外に見あたらないなあ。

東京新聞/言いたい放談(3/7)

 頑張れタクシー運転手(10月3日付)
 かつて、流しのタクシーを拾うのは、ある種のギャンブルであった。もちろん親切な運転手さんもたくさんいたが、こりゃ外れ、なんて人の当たると悲惨だった。
 ようやく止まった車に乗り込もうとすると、くわえたばこの最後の一服をプファワーと吐き出した運転手さん、それを灰皿でもみ消しながらバックミラー越しに、こっちをチラッと値踏みするように見て、無言のままバタンと自動ドアを閉める。
 こちらがさほど遠くはない行き先を告げると、「ちっ」と舌打ちして急発進。こんな時に限って、細かいお金を持ち合わせていない。おそるおそる一万円札を差し出すと、両替してきな、とあごでたばこ屋を指し示す。
 今や、そんな強気な運転手さんには、とんとお目にかからない。車内に「今ご乗車のドライバーをチェックしてご投かんください」なんていう、はがきが用意され、「あいさつはしましたか?言葉遣いは丁寧でしたか?失礼な態度はありませんでしたか?」といった項目がずらーと並んでいて、客が採点していく仕組みだ。
 運転手さんにしてみれば、常に試験官に見張られて走らされているような気分だろうが、確かに運転手さんのマナーはかつてよち格段に向上した。
 たとえば、MKタクシーである。手を挙げるとサーッと近づいて来て、運転手さんは魔法のような速さで車を降り、後部座席の横に立つ。制帽を脱ぎ、笑顔で名を名乗り、ドアを開け、客を車内に招き入れる。行き先と経路を確認すると、あとはこちらが話しかけない限り、黙々と目的地を目指す。
 一休みしようと目を閉じたところへ「お客さんの顔どっかで見たなあ。昔、何かに出てた?」などと寝入りばなを襲われる心配もない。客のプライバシーには一切触れないルールを守っているからだ。降りる時も、ホテルのドアボーイみたいに直立不動で「お気を付けて」と見送ってくれる。ちょっと気恥ずかしい気分にさせられるが、これでほかの会社より料金が一割安いんだから、たいしたもんだ。
 かつてはよく運転手さんの、競馬で大もうけした自慢話や、たまたま乗せた有名人の裏話などで大いに楽しませてもらったが、今はおしゃべりに熱中するタイプは少なくなったようだ。話し好きの私にとってはちょっぴり寂しい気もするが、この不況の中、サービス向上を競い合う会社側からおしりをたたかれ続ける運転手さんに、もはやそんな余裕はなさそうだ。

東京新聞/言いたい放談(10/3)

 阿部保夫“師匠”の思い出(9月19日付)
 この三ヵ月間、NHK教育テレビ「英会話バトルロイヤル」の司会を担当した。
 これまで、一視聴者としてNHKの教育番組には人一倍世話になってきた。英会話の鳥飼玖美子先生やマーシャ・クラッカワー先生はわが青春時代のアイドルだったし、「やさしいビジネス英会話」の杉田敏先生は、声しか知らないのに勝手に“師匠”と呼ばせていただいている。それだけに、送り手側の一人に加われたのは大変うれしかった。
 語学以外で“師匠”と仰いでいるのは、阿部保夫先生である。三十四年前、私が高校に入学した年に、お堅いNHKがギターなどという軟派で大衆的な楽器を教える番組「ギター教室」をスタートさせた。当時としては大変画期的なこの番組は、「大河ドラマ以上の人気」と言われるほど評判になった。
 その講師だったのが、阿部保夫先生である。笑うとチラッと金歯が見える、実に親しみやすい風ぼうに加えて、東北なまりの解説がとても親切で温かい。NHKに出てくる先生というより、どこの町にもいるいいおじさんという感じだ。しかし、ひとたび模範演奏となれば表情は一変、目を閉じギターをかき鳴らす姿は何とも格好よかった。
 学校の先生の説教はうんざりだったが、阿部先生に「もう一つ頑張ってみましょうね」などとテレビの向こうから声をかけられると、すっかりその気になったものだ。おそらく何十万人の人が、この番組をきっかけにギターを始めただろう。私が念願の「アルハンブラの思い出」を弾けるようになったのも、先生の励ましがあればこそだ。
 そんな阿部先生が、今どうなさっているのかを「バトルロイヤル」の若いスタッフに尋ねたが、「さー」と困った顔をするばかり。ならばと電話帳で探したら、一発で「阿部ギター研究所」が見つかった。
 「父は去年亡くなりました」。何と、電話に出た家族の方によれば、先生は去年の暮れに病死されたという。享年74歳。先生は20年ほど前に第一戦から退かれ、伊豆の別荘で悠々自適の日々を過ごされていたんだそうだ。
 NHKで僕たちを教えてくださっていた当時、先生は今の私よりすっと若い、四十そこそこだったということを知り、いまさらのように驚いた。
 先生のごめい福をお祈りしつつ、すばらしい恩師との出会いの場を提供してくれた放送というメディアに、あらためて感謝した。

東京新聞/言いたい放談(9/19)

 『また来いよ、ニール』(9月5日付)
 二十世紀最後のこの夏、わが家のハイライトはアメリカからの来客を迎えたことであった。
 「留学中にクラスメートだった友達を、二週間ほど家にホームステイさせたいんだけど」
 夏の初め、娘にいきなりこう切り出され、こりゃ大変だと思った。
 オハイオ州郊外の広々した家で暮らす若者が、うちみたいなウサギ小屋に泊まれるものなのか?ましてや身長1メートル90はあろうかという大男だ。彼に提供できる部屋は、納戸代わりに使っている六畳間。部屋の三分の一は洋服ダンス。あとは、いつ読むかもしれない本や資料やビデオであふれ返っている。
 来日までに、エイヤーと目をつぶって、すべてをごみ出しして無理やりスペースをひねり出したが、こんなんで大丈夫?
 「茅ケ崎のおじいちゃんの家に行って、海で泳いでみたいんだって」
 海というものを見たことがない彼、ニールに娘の方から提案したんだろう。
 アメリカ人と面と向かい合うのは終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)に呼び止められて以来という母は「夕食はやっぱり、ビフテキかカレーライスあたりかねえ」と不安な様子だ。
 いざやって来てみればすべては杞憂(きゆう)で、細かいことなど一切とんちゃくしない陽気な若者であった。
 彼のスケジュールは、はとバス一日観光を皮切りに、東京湾での花火大会、ディズニーランド、ライオンキング観劇、渋谷のクラブでのオール(徹夜)体験をはじめ、盛りだくさん。
 娘やその友達がアテンド役を努めていたが、私も一週間の夏休みをとって、近郊を案内して回った。「せっかくだから、歌舞伎町の風俗なんかも見せてやろうか」と言って、妻にしかられたりもした。
この二週間はニールにとってというより、私にとって幸せな日々であった。高校生の息子や大学生の娘はここ数年、すっかり親離れして家族旅行はもちろん、一家そろっての外食さえ嫌がるような状態だったからだ。
 ニールを中心にドライブを楽しんだり、みんなで料理をつくったりと、久々に家族としての連帯感をかみしめることができたのが、何よりうれしかった。アッという間に時は過ぎ、ニールは大好きなロッテ「コアラのマーチ」をいっぱい抱えて帰国した。
 息子たちは再び、銘々自室にこもってプレステなんかやっている。また来いよ、ニール。

東京新聞/言いたい放談(9/5)

 感情伝える音声メディア(8月22日付)
 五年ぶりにパソコンを買い替えて、えらい目に遭った。IT革命が声高に言われる中「あんなもの今や家電の一つさ」とうそぶく声に乗せられたのと、多少のお金を惜しんだせいで設定サービスを頼まなかったからだ
 家にパソコンが到着したのが、日曜のお昼前。所有者登録からインターネット接続までは、マニュアル本と悪戦苦闘した結果、何とか三時間ほどでものにしたが、プリンターの設定は、何度やってもエラーが出る。
 電話で教えてもらおうとユーザーサポートのページを見たら、「受け付けは月曜から金曜の午前十時から午後五時まで」だって。これじゃあ、休みの日に自宅でパソコンいじってみようなんてサラリーマンは利用できない。
 「外資系を除くと、パソコン関係のサポートサービスは、どこもそんなもんさ。しかも、たいてい話し中で、つながらない。そんなもんあてにしないで、おれが面倒見てやるから」
 友人にそう言われると、逆に意地でもそのサービスを使ってやろうと、数日後の平日のスケジュールを、サポートサービスにチャレンジするためにあけることにした。
 一時間ぐらいの待ちは覚悟していたら、二十分ほどでつながった。言葉は丁寧だが、ちょっと冷たい感じのする、若い女性の声。苦手なタイプだ。
 「マニュアル通りにやったんですが、別の画面が出ちゃって、途中から動かなくなちゃって、困っちゃったんですが」と、緊張のせいで、「ちゃった」を連発しちゃう私。
 「ウイザードは? デバイスは? ドライバー? パラレル?」
 彼女は矢継ぎ早に、質問と指示を繰り返す。そのほとんどを理解できないまま、左手に持った受話器を耳に押し当て、不自由な片手でオロオロと、あっちのキー、こっちのスイッチを押しまくっているうちに、自体はさらに悪化。
 「そこでクリックしてみてください」「はい(カチャカチャ)」「それはダブルクリック、クリックはカチャと一回!」彼女も次第に殺気立ってくる。やがて「ふー」という、ため息ばかりが聞こえてくる。
 たまらず、「この先は自分で何とかやってみます」と告げたときの、彼女のほっとした様子は、目に見えるようだった。
 電話という音声だけのメディアが、いかに生々しい感情を伝えるのに優れたものかを、確認できただけでも、いい体験であったと言っておこう。

東京新聞/言いたい放談(8/22)

 苦労多い『梶原放送局』(8月8日付)
 ラジオ局には、実にいろんな問い合わせがある。「今流れている曲の名は?」というものから、「最近、女房の動きが変なんだが、調べてもらえないか?」なんてものまで多岐にわたる。職員たちは、これもお客様サービスと、できる範囲で応じているようだ。
 文化放送「チャレンジ梶原放送局」は、問い合わせもさることながら、苦情電話が多いことで有名。特に「風のスタジオ」というコーナーは、逆風にさらされたり、世間から袋だたきにあったりして、発言のチャンスの少ない人の声を聞いてみようという趣旨だけに、聴取者の反発を買ってしまうことも少なくない。
 覚せい剤で逮捕された元フォーリーブスの江木俊夫氏、未成年少女との淫行(いんこう)騒動に巻き込まれた、そのまんま東氏、訓練生の死亡事件で裁判中の、戸塚ヨットスクールの戸塚校長といった面々が出演するするたびに、「出すなコール」が必ずかかってくる。
 先日も「明日のゲストは克美しげるさんです」と告知しただけで、「人殺しをラジオに出すな!」という電話が何本も入ってきて、スタッフはその対応に忙殺された。
 東京五輪の年に、「さすらい」という曲でヒットを飛ばし、実力派人気歌手の地位を築いた克美しげる氏は、その十二年後、愛人殺人事件を起こし、懲役十年の判決を受け服役。出所後、今度は覚せい剤で捕まって再び刑務所に舞い戻る。二度の服役を終え、十余年。「よろしくお願いいたします」。深々と頭を下げて六十三歳、初老の克美氏は予定よりだいぶ早く局に到着した。「放送局というところに足を踏み入れるのは、二十五年ぶりです。昨日は興奮して寝付けませんでした」
 番組では、脳梗塞(こうそく)で生死の境をさまよったこと、顔面まひに悩まされたこと、それでもやっぱり歌うことしかできないことなどを、淡々と語った。
 印象的だったのは、彼が繰り返し口にした「自分のようなものが」という言葉。法の裁きを受けたとはいえ、犯した罪の重さからは生涯逃れることはできないものだ、ということをあらためて感じさせる話しぶりであった。
 番組中はクレーム電話もなくホッとしたのもつかの間、最後に「明日のお客さまは大相撲元小結、板井圭介さんです」と予告した途端、電話のベルが鳴りだした。

 「八百長相撲の張本人なんか出すな!」

 なかなか苦労の絶えない番組なのである。

東京新聞/言いたい放談(8/8)

 閑かさや胸にしみいる・・・(7月25日付)
 東京駅をたつ新幹線の車内は、出発前からアナウンスがやかましい。

 「禁煙車では、たばこは吸えません」「グリーン車には、グリーン券が必要です」「偽造乗車券に注意して」「置き引きが頻発中、手回り品に注意」「まもなく出発、見送り客は降りて」そのほか、思いつく限りの注意事項を告げた後にはもちろん、途中駅の到着時間、乗り継ぎ案内等々が日本語と英語のテープで流れ、さらに車掌が生声でダメ押する。
 ようやく終わったと思ったところに「まもなく新横浜、新横浜です」。
 ほんと、いいかげんにしてほしい。

 先日、新大阪発広島行き最終の「ひかり」に乗って驚いた。レイルスターという名の最新型八両編成の四号車には、「サイレンスカー」という、一切のアナウンスを排除した車両があるという。私は急きょ、座席指定を変更してもらった。
 なるほど車内は、アナウンスどころか私語を交わす者さえいない。目の前の座席の背にはチケットホルダーという箱が設置されていて、切符を入れておけば、車内改札に来た車掌は黙ってそれを取り出してスタンプを押して元に戻してくれる。
 車内販売もやっては来るが、売り子は押し黙ったまま、ワゴンを押して通り過ぎるだけ。旧ソ連のデパートの店員のように、無愛想だが、静けさを守には仕方がない。列車は前触れなく走り始め、予告無しに次の停車駅と滑り込む。乗るのも降りるのも自分で判断するべきだという、自己責任原則に貫かれたヨーロッパの列車に乗っているようで心地よい。
 心地よすぎて、睡魔が襲ってきた。これはまずい。駅に近づくたびに車内中にとどろく、断眠効果抜群の日本式アナウンスがないとなれば、熟睡してしまう。終点どころか、車庫まで乗り越しでもしたら大変だ。
 ほっぺたをたたいたり、ひざをつねったり、指で目を押し広げたりと、必死で睡魔と闘って一時間半。ようやく、広島らしき街並みが見えてきた時はホッとした。と、その時なんと私のいた「サイレンスカー」車内に、「広島あ、広島ぁ、終点広島でーす」というアナウンスが響き渡った。
 終着駅だけはアナウンスをするんだと知っていれば、あんな苦労はしなかったものを。久々に聞く車内アナウンスには、嫌悪感より、むしろ懐かしい旅情をかき立てられたような気がする。何事もほどほど、っていうことですね。

東京新聞/言いたい放談(7/25)

 『遠近』『近近』で同情され(7月11日付)
 「各選手、四百メートルのバックストレッチから、第三コーナーにさしかかりました。先頭に立ったのはゼッケン二番の、えー」と資料に目を落として、思わずあせった。
 「手元がぼやけて見えない!」
 近眼は老眼にならないなんていう俗説を、信じちゃいけないことを思い知らされたのが五年前、陸上の実況を担当した、この日であった。
 これを契機に、遠近両用眼鏡との付き合いが始まった。

 近眼用の眼鏡を、常時かけるようになったのが三十代後半からと遅かったこともあり、自分の眼鏡をかけた顔に違和感を覚えていた。
 顔が売りではもちろんないし、さえない中年のオッサンのくせに「この眼鏡は似合わない、これも納得いかない」と、気がついたら五十個近くの眼鏡を作っていた。
 質素倹約を信条ととする私らしからぬ、大散財である。
 そのことごとくが、五年後に訪れた「老眼」を主因とする視力変動のおかげで、使用不能だ。
 なんてこった。

 遠近両用は、一つのレンズに焦点が二つあり、上半分が近眼用で遠くを見るのに使い、下半分が老眼用で手元を見るのに使う。
 今では、かつてのような境目もなく、昔ほど大きなレンズでなくても二つの焦点を入れられるようになった。若者がかかるような、おしゃれで小ぶりな遠近が可能になったのは喜ばしいことだ。
 実は、遠近に加えて今、中近と近近も愛用している。
 中近とは遠近のように、何十メートル先までくっきり見ようというのではなく、せいぜい周囲三、四メートルの視界が確保でき、もちろん手元もOKというタイプ。遠近に比べ、ずっとまろやかな見え方で実に楽チンだ。
 近近は老眼専用眼鏡より守備範囲が広く、前方五十センチのモニターも手元のキーボードも、両方無理なく見える。
 広いテレビスタジオでは遠近を、ラジオの生放送では中近を、デスクワークでは近近をと、三つの二焦点眼鏡を持ち歩き、使い分けているわけである。
 「ウッドで一気に攻めるか、アイアンで刻むか、パターでねじ込むかっていうゴルフ感覚で眼鏡を使い分けているって感じかな」
 自慢話のつもりで若いスタッフに話したら、「年取るのって大変ですね」と、同情されてしまった。

東京新聞/言いたい放談(7/11)

 『グルメ』とは無縁の私(6月27日付)
 「グルメ」とか「食へのこだわり」なんてものに無縁で、本当によかったと思う。
 ウィークデーは、朝のラジオ番組出演のため毎朝四時半、目覚ましでたたき起こされる。その瞬間、まだ覚めやらぬモーローとした意識のまま、テレビのスイッチを入れ「何でこんな時間にやってるの?」という通販番組などぼんやりながめながら、妻が用意しておいてくれた、おにぎりと野菜サラダにかぶりつく。
 歯磨き、洗顔、ひげそり、整髪、着替えにトイレ、資料の確認、準備万端整えて五時前には、迎えの車に乗り込まなければならない。朝食に割けるのはせいぜい五分だ。
 昼食は番組終了後、スタッフ一同と、その日の反省と翌日の打ち合わせをしながらつまむ、コンビニのおいなりさんやバナナや菓子パン。四月から通い始めた大学院の授業に間に合わせるには、ここで食べておくしかないのである。
 こんなふうだから、唯一ゆっくりとれる夕食は貴重なひとときで、「うちのご飯は日本一だ」ねどとおべんちゃらを言いつつ、妻の作る料理を、ありがたく食べていたというのに。
 この六月から、静岡で夕方のテレビ(静岡朝日テレビ・とびっきりしずおか)の仕事がはじまって、その夕食さえ、ままならなくなってしまったのである。
 番組が終わって一目散に家路を急ぎ、自宅に着くには、どんなに早くても九時をまわる。翌朝は四時半起きだ。体調を考えれば、寝る三時間前には食事を済ませておきたい。せめて、五時間の睡眠も確保したい。いろいろ考えて、さまざま試した結果、出てきた結論は、「帰りの電車で食べてしまおう」であった。
 メークを落としてタクシーに飛び乗り、駅につくのが列車到着八分前。駅弁はすぐ飽きて、今はもっぱら駅構内の食料品街に直行する。昨日は店内右奥の総菜屋で、カボチャと煮魚メーンの手作り弁当、今日は左手前のデリカデッセンで、たらこスパゲティ、明日は入り口近くのベーカリーでサンドイッチ。ささっと買ってホームに駆け上がり、キヨスクでお茶のボトルを買ったところへ、上りのこだまが滑り込んでくるという寸法だ。
 切符に記された席に座るやいなや、前の座席の背のテーブルを引き下ろし、ポリ袋から出して広げる「新幹線ディナー」。
 列車の揺れに身を任せ、一人黙々と食べながら「グルメがなんぼのもんじゃい」と、つぶやいてみたりする私である。

東京新聞/言いたい放談(6/27)

 『母音の変化』に危ぐ(6月13日付)
 劇団四季のミュージカル「李香蘭』を見に行った。家族連れに交じって制服姿の中高生が目に付く。最近は修学旅行の自由行動日に、ミュージカル観劇を選ぶ生徒達が増えているんだそうだ。
 「ほんとは、ライオンキングが見たかったんだけど、見てみたら李香蘭も良かった」と、島根から来た中学生の男子は満足げであった。
 満州国建国、日中戦争、そして終戦。この物語が描く時代についての歴史的評価は、立場によってさまざま、取り上げ方によっては面倒なことになるから、学校でもさーっと飛ばしてしまうことが多く、受験にもあまり出ない。それだけに、生徒たちにとって、この観劇は新鮮な体験となったろう。
 しかし、それ以上に彼らにとってラッキーだと思うのは、彼らがミュージカルを通じて、日本語の響きの美しさを見直すチャンスに出合えたからだ。
 劇団四季では俳優さんたちに、「母音法」という訓練を課していると聞く。例えば「きれいだわ」というセリフを練習するとき、子音を取り去り、母音部分だけを大きく口を開けて、「いえいああ」とやるんだそうだ。歯切れのいい、明りょう度の高い日本語のための訓練というわけだ。
 こんなことを言うのも、最近増えつつある、「母音の変化」に危ぐを抱いているからである。
 それは「あいうえお」という五つの母音のうち、「い」の独立が損なわれ、「え」に急接近しつつある、「いえ母音」現象である。
 彼らが連発する「まじ?」「かれし」の「じ」や「し」の母音は、もちろん「い」だ。しかし、「い」をきちんと発音するには、口角を横に強く引かねばならない。五つの母音の中でも、最も努力と緊張を強いられるのが「い」である。
 その、努力にも緊張にも耐え切れない若者が、気持ちは「い」でも、ゆるく開いた口の構えは「え」なので、結果的に「いえ」という、あいまいな母音を生み出してしまったのだ。
 「まじ?」は「まじぇ?」で、「かれし」は「かれしぇ」と言う具合である。「みたいなあ」「とかあ」という若者のあいまい表現が問題視されているが、発音のあいまい化現象は実はもっと深刻だ。
 「もしぇもしぇ。わたしぇ?今?しんばしぇ」。町中、携帯でこんなふうに話している女の子を見て、日本語の未来が心配になった。

東京新聞/言いたい放談(6/13)

 『みんな同じ顔』は偏見(5月30日付)
 年のせいか、人の名前を覚えるのに苦労する。礼儀的な名刺交換ぐらいでは、一週間もすれば、どこで会った人かさえ思い出せない。
 新番組のスタッフ顔合わせのように、これは気合いを入れて覚えねばという時は、自己紹介した人の名前を、座り位置を記入した見取り図のようにして書いておく。名前の横には、その人の風ぼうの特徴をメモする。
 「髪薄い」「汗かき、太腹」「顔、声デカ」「カエル顔」ーーー本人が見たら、気を悪くするような表現が多いが、なぜかこの方が私の記憶に残りやすい。
 先日、この手法が通用しない場面を体験した。人気アイドル、ジャーニーズJr.とテレビで共演した時のことである。彼らが東西二チームに分かれ、スポーツやゲームで競い合うという番組の進行を担当する私に、最低限求められるのは、全員の顔と名前を記憶しておくことだ。
 事前準備のため、メンバー一人ひとりが写っているプロフィル写真を見て思わず不安がよぎった。「みんな同じように見える!」。十人が十人とも目鼻立ちはくっきりすっきり、スリムな体はスポーツマンタイプ。要するに、全員ジャニーズ系でかっこいい(そらそうだ、本物なんだから!)。
 私は、ロケ場所である某地の河原の土手に座り、本番前のウオーミングアップに精を出す美少年たちの様子を、公安警察のように鋭い目つきで追っては、手元の写真と見比べ、困惑のため息をつくのであった。
 そんな私の目の前を、地元の男子高校生らしき一団が、部活だろうか、「ワッセ、ワッセ」と声を合わせて、走り過ぎてゆく。先頭を行く生徒はマゲを付ければ雅山だし、その後の子は半泣きの出川哲郎、隣はゲタみたいにエラが張ってる若者。バラバラなうえ、似てるものがすぐに見つかり、こういう連中なら覚えやすいのになあ。
 ところが、である。
 半日以上ロケを一緒にやってくうち、彼らの顔が、それぞれ全然別に見えてきたのだ。
 現実の彼らは、実に人間的であった。闘争心むき出しの乱暴者、三枚目、気配りの人、きまじめタイプ、各人各様の個性的なキャラクターに触れるうち、個々の顔や表情も全然違って見えてきて、メンバーの判別はもちろん、名前も自然に覚えられたのである。
 「みんな同じ顔」というのは、おじさんのアイドルに対する偏見だったようである。

東京新聞/言いたい放談(5/30)

 座って用足しのススメ(5月16日付)
 「洋式トイレの時は座ってオシッコするんだ」ーーーふとしたはずみのこう言った私に「気色悪ーい」「かっこ悪ーい」と、あっちこっちから非難のあらしが襲いかかった。
 「最近は僕みたいの増えてんじゃないの?」と抵抗する私に、ラジオで共演しているリポーターのまんぼう氏が街の人の声を聞いてきてくれた。
 「男性はもちろん、特に主婦を中心とする女性までもが、不自然で嫌よねと否定的ですわ」
 なおも納得におかない私に、彼は便器メーカーTOTOのアンケート結果も教えてくれた。
 「家で夫や息子が座ってやってるらしいと答えた主婦が、18%やて」「ほらみろ、結構いるもんじゃない」と強がってはみたものの、八割以上の大多数は家でも立ってやっているのも証明されてしまった。私はやはり変わりもんなのか?
 しかし、思い出してほしい。写真週刊誌に載った、キムタクの立ちションシーンを。見事に一本の放物線を描いているように見えたが、あれだって実際は細かいしぶきが周辺に拡散しているはずである。少年のころ、素っ裸で立ちションしたことのある男なら、おしっことは意外に広範に飛び散るものだ、という事実を素肌で感じている。
 立って用足しは直接狙いを外したせいばかりでなく、知らぬ間に便器周辺を汚す結果となり、主としてトイレ掃除を担当する妻や母たちに、苦労をかけることになる。
 また、立ち使用の際に上げた便座を、下げ忘れたままトイレを出てしまい、急な便意を催して駆け込んだ女性が、便器の中におしりを落とす、などという事故だって懸念される。
 こうした点に配慮する意味でも、「座ってオシッコ」は少なくとも女性のみなさんには喜んでいただけると思ったのに、「余計なお世話」と言われたようで情けない。
 ついでに言えば、私は新幹線の男子小用トイレにも納得がいかない。まるで電話ボックスでオシッコしているような気にさせられる。先日、酔っぱらったおっさんが、車両がガックと揺れたとたん、放尿したままボックスから通路に飛び出して来たのを目撃してからは、なおさらだ。
 世界中の男がしゃがんでやって、最後にティッシュを使うようにでもなれば、戦争なんてものがこの世から消えてなくなるような気がしません?

 世界平和のために、さあ男たちよ始めよう、座ってオシッコを!

東京新聞/言いたい放談(5/16)

 “逆風の人”ラジオ評価(5月2日付)
 「チャレンジ!梶原放送局」(文化放送)に、「風のスタジオ」というコーナーがある。
 日替わりゲストに、生でじっくり話を聞くという、ごく当たり前な作りにもかかわらず、放送翌日のスポーツ紙やワイドショーが、しばしば、そこでのやりとりを取り上げてくれる。
 これまで出演したのが、あの“野村サッチー”、デビ夫人、年下の男性とのストーカー騒ぎでもめた石井 子さん、沢田亜矢子さんの“元夫”で、マネージャーだった松野行秀さん。
 また、オウム問題をめぐって、日本女子大をやめさせられた島田裕巳元教授、ゴージャスでおなじみの叶姉妹の姉・恭子さんの“元夫”のほか、毎回登場する方々が実に個性的だというのが、注目していただけるゆえんかもしれない。
 お気づきのように、この「風のスタジオ」に出てくださる方の多くは、かつていろんな形で厳しい“アゲンストの風”にさらされた経験をお持ちである。そんなみなさんが本音を語る場として、テレビではなくラジオを選ぶのには、それなりの理由があるのだと思う。
 影響力という点では、テレビは圧倒的だ。「おもしろい」「かっこいい」となれば、その評判は増幅され、一気に日本中の人気者になる。
 一方で、いったん逆風が吹き始めると、今度は手のひらを返したように、一斉にたたき始めるのも、テレビである。
 そんなときに、無防備にテレビに顔を出したりすると、ふてぶてしく見える表情やコメントを抜き取られ、巧みな編集の技で強調され、拡大され、繰り返され、気が付けば“悪玉”としての役回りを、演じさせられたりするのである。
 テレビはもろ刃の剣、リスキーなメディアだと実感した人たちが、ラジオを再評価し始めてきているような気がする。
 ラジオは、手の込んだ編集をやろうにも、人手もお金も掛けられず、生放送の時間の許す限り、ひたすら愚直に疑問を投げかけ、ゲストに答えてもらうしかない。
 顔も字幕も見せることのできないラジオでは、リスナーは渦中の人の一言一言に、神経を集中させて、その表情を読み取ろうとする。しゃべる側の真剣な思いは、いろいろに加工を施すテレビ以上に、伝わるのかもしれない。
 世間の強い風にさらされているゲストが、今後も続々と、「風のスタジオ」を訪れてくれることを、心待ちにしている。

東京新聞/言いたい放談(5/2)

 これって『番宣』ですね(4月18日付)
 この4月から、「チャレンジ!梶原放送局」というラジオ番組(文化放送)が始まった。平日の朝六時五十五分から九時五十五分まで、三時間の生放送だ。
 もちろん私は、この貴重な紙面を番組宣伝に使おう、などというつもりは毛頭ない。ラジオで働く人間たちが、どんな考え方で番組を作っているのかという、その一端を知っていただくことで、テレビに押され気味のラジオ全体への興味を持っていただければ、というのがねらいである。
 朝の時間帯は、お客さま(聴取者層)が、めまぐるしく入れ替わるのが特徴だ。ここで番組を乗り合いバスにたとえて、ご説明しよう。
 朝七時前、押し合いへし合い乗り込んでくるのは、都会に通うサラリーマン。「ビジネスに活用できる、いきのいいニュースをガンガン聞かせろ」とおっしゃる。
 彼らの大半は、七時半までにはバスを降り、入れ替わりに乗ってくるのが学生さんたち。「学校で友達と盛り上がれるネタやらないと、ダイヤルほか回しちゃうから」
 彼らも八時を回れば全員下車して、今度は夫や子供を送り出した主婦が「テレビのワイドショーより刺激的なトークなら聴いてやってもいいわ」といいながら、バスのステップを上がってくる。
 九時が近づくと、駆け込み乗車のパートの奥さんも加わって、「私たちにもしゃべらせて」と訴え始める。そんなおばさま方に圧倒されながらも、外回りの営業マンや自営業の男性たちが、最後のお客さまとして乗り込んでくる。「僕らはパソコンや携帯から、メールで参加しますので」としおらしい。
 そうこうするうち、十時を前にバスは終点に到着と言うわけだ。乗り降り自由のバスの旅、どの区間をお乗りいただいても、それぞれに満足できるよう心がけているのだが、もちろん三時間乗り続けていただけるお客さまは大歓迎だ。
 そんなお客さまには、感謝の気持ちを込めて、朝一番の発車オーライの時と、終点に到着した時だけ流れる特別なテーマソングをご用意した。
 学生時代同じバンドに所属していたよしみで、あの「古畑任三郎」のテーマでおなじみの作曲家、本間勇輔氏に無理をいって作ってもらったオリジナル曲だ。元気と勇気とやる気がわいてくると評判のこのテーマ、一度お聴きいただきたい。

 うーん、でも、これってやっぱり、宣伝になっちゃいます?

東京新聞/言いたい放談(4/18)

 メディアへの“値踏み”(4月4日付)
 埼玉県保険金殺人疑惑の八木茂容疑者が逮捕、連行される時、手錠をはめられた手で、報道陣に向かってVサインをしてみせた。テレビはその手にモザイクをかけて報じたが、彼がその手を大きく動かすので、モザイクが画面のあっちこっちを飛び回る。とても奇妙な映像であった。
これはおそらく、二百回以上開いた有料記者会見でマスコミの体質を知り抜いた男の、メディアへのからかいだ。
「おまえらマスコミには、この手錠をそのまんま放送する度胸なんかないだろう。ざまー見ろ。モザイク係、しっかり仕事せいや!」とあざ笑っているようにさえ見えた。
1980年代、あのロス疑惑の三浦事件以来、「人権への配慮」から「手錠にはモザイク」が定着し、犯罪の軽量や、本人が望む望まないど、一切しんしゃくすることなく自動的にモザイクをかけるのが習わしとなったようだ。
だから、CSテレビの海外ニュースで、手首に手錠をかけられた逮捕者の映像を見たりすると、思わずドキッとしてしまうが、そのニュースが地上波に転用されたのを見ると、律義にモザイクが施されている。
 しかし、顔から姿形のすべてを見せておいて、手首のところだけチョチョッとぼかしを入れることが、本人に人権への配慮になるんだろうか?
 「みんながそうしてるから、とりあえずモザイク」なんてことはないんだろうか?
 新潟の女性監禁事件までは、事件を起こした人間に「通院歴」があればマスコミは、ほぼ自動的に匿名報道としていた。精神障害者への「人権配慮」ということだったが、「この、あまりに非人道的な人間を、匿名のままでは国民が納得しないだろう」というムードが高まると、今度は一転して各社一斉に、実名報道ということになった。
 「人権」の名のもと、やみくもな一律匿名主義に比べれば、まだましだとは思うが、この一大変化は、各社が独自に判断した結果なのかは、はなはだ疑問だ。
 「他社と足並みをそろえておけば、うちだけたたかれることもないだろう」という、横並び意識があるとすれば、それはマスコミが批判し続けてきた“護送船団方式的思考”ではないか。
 カメラの前に、手錠をはめられた手首をつきだし、せせら笑う八木容疑者は、事件を伝える個々のメディアの覚悟を、値踏みしているように見えてならない。

東京新聞/言いたい放談(4/4)